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大阪地方裁判所 昭和31年(ヨ)183号 判決 1963年4月05日

申請人 古垣重一 外一名

被申請人 寿紡績株式会社

主文

被申請人は、申請人等の被申請人に対する解雇無効確認等の本案判決確定に至るまで、申請人等を被申請人の従業員として取扱い、且つ昭和三十一年一月五日以降各復職にいたるまで申請人古垣重一に対し一ケ月金四千三百五十円、申請人森一夫に対し一ケ月金二千五百五円の各割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない。

申請人等のその余の仮処分申請を却下する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人の主張。

申請人等は主文第一項前段同旨、且つ昭和三十一年一月五日以降申請人古垣に対し一ケ月金一万四千五百円、同森に対し一ケ月金八千三百五十円の各割合による金員を毎月末日限り支払えとの判決を求め、その理由として次のとおり述べた。

一、被申請人(以下単に会社という)は、従業員約百六十名(内女子約百四十名)を擁し綿紡績を業とする株式会社であり、申請人古垣は昭和二十六年一月同森は同年二月にそれぞれ入社、申請人古垣は精紡機械の保全、同森は炊事の各業務を担当してきたものであり、且つ全国繊維産業労働組合同盟(以下単に全繊という)傘下の寿紡績労働組合(以下単に組合という)の組合員であつたところ、昭和三十一年一月四日組合は臨時組合大会において申請人等を組合の団結を乱し組合員の人心を動揺させたという理由で除名しその旨両名に通知、会社もまた同日組合との間のユニオンショップ協定に基き組合の右除名を理由として同月五日附を以て解雇する旨を申請人等に通知した。

二、組合の結成並に活動とこれに対する会社側の態度。

(一)  従来会社には労働組合なく、会社は社長上林久雄の独裁的経営に任せられ、本社工場責任者藤平、労務担当者梶本、経理担当者飯田等が直接社長を補佐して会社経営に当つてきたが、会社は従業員に対し常時十二時間乃至十四時間の就労を要求し、その間僅かに三十分の休憩時間を与えるに過ぎず、時に女子従業員を含めて三十二時間継続して就労せしめ、時間外、深夜割増賃金を支給せず、日曜出勤を強要して公休日を月二回に制限し、年次有給休暇、生理休暇を与えない等労働基準法を全く無視した前近代的な労務管理を行ない、従業員の労働条件も極めて劣悪であつた。

(二)  申請人古垣は昭和三十年七月頃全繊の呼びかけに応じて組合結成の準備に着手し、同月二十九日従業員中約百四十名を以て組合を結成し、同日同申請人は組合長に選任され、爾来組合の中心的活動家として組合運動に従事してきた。組合は結成直後からユニオンショップ協定の締結を要求して会社と団体交渉を重ねたが会社がこれを容れないためやむなく同年九月十九日会社との間にオープンショップ協定を締結した。

(三)  組合結成当日、結成大会終了後、会社職制上の現場責任者である矢野留馬、藪下某等四名は、組合を脱退し、組合の結成は会社を潰す等と宣伝を行ない、組合の切崩しに狂奔した。同年九月二十四日矢野は労務担当者梶本と協力して組合員中三十六名の名簿を組合に持参して組合脱退を通告し、さらに同年十月十日梶本は申請人古垣等組合幹部の不在に乗じ、矢野とともに自治会を結成し、全従業員をこれに参加せしめ、同月十六日右自治会を組合に合併させると称して組合を自治会に吸収しその名称を組合とし、申請人古垣等を組合役員から排除して組合長に矢野、書記長に梶本がそれぞれ就任した。

(四)  以来組合は、実体は自治会であるとともに会社の労務管理機関であり、典型的な御用組合と化して労働組合たるの実質を喪失した。そのことは左記の諸事実に徴して自ら明らかである。

(1) 役員交代後の組合長矢野は、組合結成当時組合長であつた申請人古垣に対し職制上組合に加入できないとして組合を脱退して以降、組合切崩しの中心として自治会の形式上の責任者であつた。副組合長間沢富士夫は、菊池専務とともに大阪営業所に勤務するもので、会社の利益代表者であるという理由で組合結成当時組合に加入しなかつた。書記長梶本は、会社の唯一の労務担当者であり、書記長就任前まで会社側代表として団体交渉の席上に出席していたもので、組合切崩し、自治会結成の中心人物である。会計森実も、会計就任までは会社側代表として団体交渉の席上に出席していた。執行委員八名中三名は当初から組合役員でもないのに会社の命により組合の反対にも拘らず団体交渉の席上に出席していたもので、自治会結成に努力した経歴を有する。

(2) 昭和三十年十月十六日自治会が組合を吸収した際、社長は従業員の面前で自治会幹部に感謝し振舞酒を提供した。

(3) 役員交代後の組合執行委員会は概ね社長出席の下に行なわれている。

(4) 同年十一月上旬書記長梶本は、労働基準監督署係官の調査に際し基準法違反事実の隠蔽を組合員に要求している。

(5) 役員交代後の組合は、組合員の地位向上、労働条件の改善等について何等の活動をなさず、且つ組合員の要求を全く受けつけない。

(五)  申請人森は、同年十一月下旬頃偶々他会社において組合が年末手当として賃金の一、三ケ月分を要求していることを知つたが、組合員は全くこれを知らない状況にあつたので、申請人古垣等と協力して組合の運営を正常にするため、組合規約に則り組合大会開催要求の署名運動を始めたが、組合幹部から組合を攪乱する行為であると宣伝されてその行動を阻止された。

(六)  右年末手当は、それが如何にして獲得されどのような基準で分配されるかについて組合員に何等知らされないまま、同年末従業員に支給されたが、女子従業員に著しく不平等であり不満が続出した。

(七)  申請人等はこのように全く御用組合化した組合に慊らず、自主性をもつた真正な労働組合の結成を企図して、昭和三十一年一月三日そのための賛成署名を集め組合結成大会を開催すべく、会社に対し食堂の使用を申入れたが、拒否された。組合は翌四日午前九時半頃就業中に拘らず就業ベルで全従業員を呼集して臨時組合大会を開催し、申請人等の入場を禁じた上、申請人両名を除名処分に附し、会社は即日申請人等に対し前記解雇通知をしたものである。

三、しかしながら右解雇は左記諸理由により無効である。

(一)  右解雇は存在しないユニオンショップ協定を根拠としてなされたものであるから無効である。

本来ユニオンショップ協定は、組合の団結の力によつて獲得さるべきものであり、御用組合でない限り組合員の強力な団結力を背景としてのみその締結が可能なものである。しかるに会社が組合と締結したというユニオンショップ協定については、組合員は全く知らず、組合執行委員の一人向井悦子さえこれを知らない状況であつた。しかもそれより先に締結されたオープンショップ協定については、労働組合法第十四条所定の形式の書面が作成され、且つ会社組合双方によつて全従業員に発表されたのに拘らず、右ユニオンショップ協定については右書面は存在しない。右事実に申請人古垣が組合長を退いてからの組合は前記のとおり全くの御用組合であること等を綜合すれば、右ユニオンショップ協定は、組合の中心的活動分子である申請人等を御用組合から完全に排除しひいては会社から排除するために、会社と組合幹部特に実質上会社の利益代表者である梶本労務責任者との間で創作されたもので現実には存在しないものであること明らかである。従つて存在しないユニオンショップ協定を根拠としてなされた右解雇は無効である。

(二)  仮に右ユニオンショップ協定が被申請人主張のとおり昭和三十年十二月五日に締結されたものとしても、右協定は次に述べる理由により無効であるから、無効なユニオンショップ協定を根拠とする右解雇もまた無効である。

労働協約は組合員の生活の防衛を担保するものであり、労働条件の維持改善のために組合が闘いとるものである。しかるに会社が組合との間に締結したというユニオンショップ協定は、前記のとおり組合員いな執行委員の一人すら全く知らない間に締結されたものであつて、それは既にその点において労働協約の概念に入らないものである。さらに右協定は、前記のとおり御用組合の実体を具備した組合が会社との間に締結したものであつて、協約締結の能力を欠く御用組合が仮に協約と締結したとしても、それは協約としての効力を持たないこと明らかである。このような無効なユニオンショップ協定を根拠としてなされた右解雇は無効である。

(三)  右解雇は、組合の無効な除名処分を前提としてなされたものであるから、無効である。

(1) 組合規約によれば、組合の統制に関する事項は、全組合員で構成する組合大会の審議決定を要し、大会は議長、副議長をその都度構成員中より選出し、組合員は平等に各種会議に参加し、組合のすべての問題について報告を求め、質疑をただし自由に意見を述べ、構成員となる機関の決議に参加する権利を有する。従つて申請人等は申請人等を除名した昭和三十一年一月四日の臨時組合大会に出席し意見を述べ決議に参加する権利を有するのに拘らず、組合幹部は、実力でこれを排除し、申請人等が決議に参加する機会を奪つたのみならず、右大会においては議長を選出せず書記長である梶本が会議を主宰し、自ら提案して申請人等を組合から除名する旨の決議を行つたものである。このように被除名者である申請人等に除名について弁解の機会を与えず、且つ組合規約所定の手続を経ないで行われた右除名決議は無効であり、従つて右無効の除名決議を前提としてなされた右解雇もまた無効である。

(2) 申請人等に対する除名決議は、除名の理由なくして行なわれた無効のものであるから、その除名を前提とする右解雇は無効である。

申請人古垣が組合長を辞して後の組合は、組合員に対し何等の指導をなさず、組合ニュースの提供をしないのは勿論、組合が会社に要求したという年末手当については、その要求の事実、妥結した支給額を全く組合員に知らしていない。要するに、被申請人が主張するいわゆる統一後の組合は、前記のとおり組合員の労働条件の維持改善、経済的地位の向上については殆んど実質的に何等の活動をもなさず、専ら会社側の意を迎えるに汲々として労働組合の本質を具備しない御用組合と堕していたので、これに慊らない申請人等は、組合を民主化し自主的な真正な組合たらしむべく、先ず組合大会開催のための署名運動をなし、その成果を挙げ得ないため次いでやむなく第二組合結成のための署名運動を行つた。組合は、申請人等の右のような行為を以て組合の統制を乱し団結を破壊するものとし、昭和三一年一月四日の臨時組合大会において申請人等を除名する決議をしたものであるが、申請人等の右行為は、正に御用化した組合少くとも殆ど御用化した組合に対し正当な労働組合を育成または結成するためになされたものであり、組合幹部が団結権、団体行動権を実質的に侵害しているのに対し、これを防衛するためやむなくなされた組合員として当然なすべき正当な行為であるから、このような行為を理由にしてなした除名決議は、除名理由にならない行為を理由としてなしたもので、その決議自体労働者の団結権を実質的に侵害するものとして無効というべきであるからこの決議を前提としてなされた右決議も無効である。

四、被申請人は、申請人等に対する昭和三一年一月四日附解雇は、ユニオンショップ協定に基く解雇ではなく、申請人等に次に列挙するような就業規則違反の行為があつたので、懲戒解雇に附すべきところを、情状を酌量して就業規則第三十九条第二号の「事業の都合により止むを得ないとき」に該当するものとして解雇したのであるが、申請人等は会社の温情的措置にも拘らず増長して本件仮処分申請に及んだので、会社は念のため改めて同年二月一五日後記就業規則違反行為を理由として申請人等を懲戒解雇したものであると主張するが、被申請人主張の懲戒委員会の構成メンバーが終始上林社長、菊池専務、藤平工場長、定盛工場次長、間沢専務附社員、梶本労務、矢野梳綿、吉川練篠、藤田混綿各部責任者等所謂会社幹部のみであること、就業規則所定の懲戒委員会規程は本件仮処分申請後に作成されたものであること等を綜合すれば、昭和三一年一月四日附解雇は、被申請人主張の如き解雇ではなく、そのために懲戒委員会が開かれたというのは、会社の不当労働行為意図を隠蔽するための作為に過ぎず、さらに右のような意味の隠蔽手段として同年二月十五日左記就業規則違反行為があつたとして改めて懲戒解雇の意思表示をしたものである。

しかしながら被申請人の主張する申請人等に関する就業規則違反の事実は、多くは虚構の事実であるか、又はそのような事実があつたとしても針小棒大に表現されているものであつて、懲戒解雇に値する就業規則違反行為ということを得ないのみならず、右懲戒解雇は申請人等の左記列挙の行為を理由としてなされたものであるが、それは単に表面的な理由に過ぎず、真実は前記のような申請人等の平素の組合活動及び昭和三〇年十月初旬の臨時組合大会開催要求のための署名運動並に翌年一月三日の新組合結成準備のための署名運動を理由としてなされたものであり、不当労働行為として無効である。

会社が申請人等に対する懲戒解雇理由として挙げる事実についての申請人等の主張を左に要約する。

(一)  申請人古垣に関する事実。

(1) 昭和二八年一月一一日山下繁子に対し暴行したという事実。

右日時に、職制上申請人古垣の指示に従うべき立場にあつた山下が、その指示に従わず却つて同人に掴みかかつたので、これを阻止したことはあるが、山下に対し暴行した事実はない。当時会社は山下の非を認めて同人を配置転換した。

(2) 昭和二八年九月下旬森俊雄に対し、同年一〇月二六日別府ミチに対し、同二九年八月一〇日豊満久子に対しいずれも暴行を加えたというが、その事実はない。

(3) 昭和三〇年七月三日西本文子を教唆して山下繁子に傷害を与えたという事実。

同年一二月三日頃申請人古垣等の指示により西本文子が臨時組合大会開催要求の署名運動中、山下繁子の傍らを通過しようとして所持していたノッタ鎌が誤つて同人の右腕に当り負傷せしめた事実はあるが、あくまで過失による傷害であり且つ申請人古垣が責を負うべき筋合のものではない。

(4) 同年七月二〇日ラスを窃取したという事実。

同日頃会社寄宿舎横にあつた一尺四方位の古ラスを責任者矢野の諒解を得て持ち帰つたことはあるが窃取したものではない。

(5) 昭和三〇年九月三日川越藤子を脅迫したというがその事実はない。

(6) 同年九月二〇日下野砂子に対し暴行に近い脅迫を加えたという事実。

下野砂子は申請人古垣の下で勤務しているものであるから、同申請人が下野に対し仕事の上で色々指示を与えることはあるが、暴行に近い脅迫を加えたという事実はない。

(7) 昭和三一年一月三日会社の女子寄宿舎へ飲酒の上無断侵入したという事実。

同日新組合結成準備のため連絡に女子寄宿舎へ行つたことはあるが、右寄宿舎は男子禁制ではなく又当日飲酒していた事実はない。

(二)  申請人森に関する事実。

(1) 昭和二六年一〇月一四日梶本利夫に対し暴行暴言したという事実。

当日会社の都合で風呂を沸すのが遅れた際、梶本が酒気を帯びて申請人森の業務を妨害したのであつて、暴行暴言の事実はない。

(2) 昭和二八年八月浜屋洋子に対し暴行したというが、その事実はない。

(3) 同年一一月一九日当直責任者上林政三に対し暴言したという事実。

当日は会社のリクリエーションの日で休日であつたが、申請人森が休日を利用して風呂の修理をしていたところ、宿直の上林が風呂を沸せと無理な要求をしたものであつて、同申請人がこれを拒否したのは当然である。

(4) 昭和二九年一月一〇日矢野留馬に対し暴行を加え同年六月一五日炊事場で多数の茶碗等を故意に壊したという事実。

右はいずれも申請人森と矢野との間の些細な個人的紛争であつて、矢野については何等の懲戒処分もない。

(5) 女子工員に対し入浴阻止、飲食の妨害をしたという事実。

会社の指示により食事、入浴を制限したことはあるが、入浴、食事に関して暴行したり放水したりした事実はない。

(6) 昭和三十年十月頃炊事材料を横領したというが、その事実はない。

五、以上のとおり本件解雇(懲戒解雇を含めて)は無効であるから、申請人等は依然として会社の従業員たるの地位を有し、昭和三十一年一月当時の平均賃金は申請人古垣において一ケ月金一万四千五百円、申請人森において一ケ月金八千三百五十円であるが、申請人等はいずれも妻子を抱え労働の対価を唯一の生活手段とするものであり、本案判決による救済まで本件不当解雇による不利益を忍受できないので、仮処分による救済を求めるため本申請に及ぶ。

第二、被申請人の主張。

被申請人は、申請人等の申請を却下する旨の判決を求め、次のとおり主張した。

一、申請人主張の事実中、被申請人が綿紡績を業とする株式会社であり、本社工場責任者が藤平正夫であること、申請人等が申請人等主張の日時に入社しそれぞれ申請人等主張の業務を担当していたこと、申請人等が組合から除名され、組合から会社に対し申請人等を解雇されたい旨の申入があつたことは認めるが、その余の事実はこれを争う。

二、組合内部の事情は会社側において詳にしないが、調査の結果によれば申請人等の主張の異るところが多い。即ち

(一)  昭和三十年七月女子従業員中有志のものが中心となり、全繊と連絡して組合結成の準備を進め遂に組合結成に至つたもので、申請人古垣が組合結成の主動者であつた事実はない。組合結成大会当日選出された組合役員は女子従業員のみであつて、申請人古垣は右大会に出席もしていない。

申請人古垣はその後組合長に選出されたものであるが、組合長としての能力に欠け、団体交渉に出席しても十分発言できず、組合の運営は殆んど全繊大阪支部役員に負つていたもので、その後書記長鏡園哲夫(申請人森の義弟)が破廉恥罪で退職したという事態も生じ、申請人古垣の無能力と相俟つて組合員中組合を脱退するもの続出する状況にあつた。

(二)  その後全繊大阪支部の斡旋で同年十月十六日組合大会により全従業員を以て一丸とする組合組織が確立した。同日大会終了後、社長は、過去数ケ月に亘る従業員間の反目が解消し全従業員を以てする組合統合が成功したことを祝して一応の挨拶を述べ、全従業員が冷酒で乾盃したことはあるが、当初より組合大会に臨席していたものではない。

(三)  同年十二月五日会社組合間にユニオンショップ協定が締結され、翌日組合長、書記長から申請人古垣にその旨伝えている。

(四)  同年十二月末の年末手当の問題については、会社は江商に対し約一億三千万円の借財があり、殆んど業務停止の状況にあつたので、江商に対し援助を懇請したが成功せず、上林社長の個人財産を担保として他より十数万円を借受け、同月末日に従業員に対し女子工員に一人当り、三千三百円、部の責任者に一ケ月分の年末手当を支給することができたもので、その額は近接の同種工場より上廻り、従業員中多数のものはこれを多としていたものであつて、申請人主張の如き女子従業員に対する差別待遇の事実はない。

(五)  組合は結成大会当日、会社に対し、暫定的な労働協約締結についての要求をなし、その要求内容中非組合員の範囲は、課長以上及び経理担当責任者、日々雇入れられるもの、会社組合協定の上認めたものとあつて右以外の全従業員を組合に加入せしめるよう要求していたもので、申請人古垣は当初の組合長として右事情をよく承知しているのであるから、今に及んで現場責任者矢野や労務に関与する梶本等を組合員とする組合は御用組合であるとは主張し得ない筈のものであり、且つまた組合新役員は同年十月十六日の組合大会において組合規約に則り組合員の直接無記名投票により選出されたもので、組合員の意思に基き選出せられた役員が統率し強力な組織である全繊の指導下にある組合を御用組合というのは、組合員並に全繊を冒涜すること甚しい。

(六)  その後申請人等の組合員としての行動に、新組合結成への分派活動その他組合員として好ましくないものがあつたので、昭和三十一年一月三日組合は緊急執行委員会を開催し申請人等の除名方針を決定、翌四日臨時組合大会において組合規約に則つた方法で申請人等の除名を決議し、その旨申請人等に通知したものであり、除名理由もあり、除名手続に瑕疵もない。

三、昭和三十一年一月四日附の申請人等に対する解雇は、申請人主張の如き会社組合間のユニオンショップ協定に基く解雇ではなく、就業規則第三十九条第二号の業務上の都合による解雇である。申請人等に後記のような就業規則違反行為があつたので、昭和三十年十二月十日申請人等に対する懲戒委員会を開き、懲戒解雇にすることに意見の一致をみたが、上林社長の意見により即時解雇処分に附することを見合わせ、その後の処置は社長に一任せられた。ところが申請人等は依然改悛の情なく翌三十一年一月三日男子禁制の女子寄宿舎に飲酒の上無断侵入したので、同月五日第二回懲戒委員会を開き、懲戒解雇に附すべきものであるが申請人等の将来を慮り就業規則第三十九条第二号による業務上の都合による解雇にすることとし、その旨翌六日申請人等に対し郵便を以て通知した(一月四日附になつているのは一月五日を誤記したものである)。

しかるにその後申請人等から本件仮処分の申請があつたので、本来懲戒解雇に附すべきものを普通解雇としたため申請人等が増長したものであるから、他への戒めの意味もあるし念のため懲戒解雇に附すべきであるとの議論が出て、同年二月十五日第三回懲戒委員会を開き、第一、二回の委員会の決議を再確認し、従前の普通解雇が無効な場合を考慮して予備的に就業規則第六十八条に該当するものとして懲戒解雇に附したものである。なお右第一、二回懲戒委員会は、従来懲戒解雇に該当する事例のあつた場合、社長指名の委員が参集協議したのと同じ構成員により構成されたもので、社長は従来右委員に藤平工場長、菊池専務、梶本、矢野、吉川、藤田等各部責任者を指名してきた。その後昭和三十一年二月一日就業規則附属規定として懲戒委員会規定が制定され、第三回懲戒委員会は右規定によるものである。

申請人等に関する就業規則違反事実は次のとおりである。

(一)  申請人古垣について。

(1) 昭和二十八年一月十一日会社工場内精紡室入口で精紡工山下繁子に対し、理由なく殴る蹴るの暴行を加えた。

(2) 同年九月下旬頃工場仕上室で倉庫係森俊雄に対しベルトの長短のことについて食つてかかり同人に対し暴行を加えた。

(3) 同年十月二十六日梳綿室で梳綿運搬工別府ミチに対し暴行を加えた。

(4) 昭和二十九年八月十八日仕上室で梳綿部保全工豊満久子に対し暴行を加えた。

(5) 昭和三十年七月三日西本文子を教唆して精紡工山下繁子に対し、治療二週間を要する傷害を与えた。

(6) 同年七月二十日午前四時頃工場物置入口広場で、工場建築用に使用するラスを窃取し、あさり取りの金網として使用した。

(7) 同年九月三日精紡室で保全工川越藤子を脅迫した。

(8) 同年九月二十日精紡室で保全工下野砂子に対し、理由のない自己の意見を通そうとして暴行に近い脅迫を加えた。

(9) 昭和三十一年一月三日男子禁制の女子寄宿舎に飲酒の上無断侵入し、女子従業員に不安の念を与えその作業能率を低下せしめた。

(二)  申請人森について。

(1) 昭和二十六年十月十四日風呂番の申請人森が風呂の火を早く落したため入浴不能になつた女子工員の訴を聞き、梶本利夫が注意を与えたところ、申請人森は殺してやると同人に対し出刃庖丁を振り廻し、且つ同人の自宅まで押しかけ同人に対し暴言を浴せた。

(2) 昭和二十八年八月寄宿舎炊事場で練篠運転工浜尾洋子に対し暴行を加えた。

(3) 同年十一月十九日食堂で理由なく上司である当直責任者上林政三の命に背き暴言を吐いた。

(4) 昭和二十九年一月十日寄宿舎食堂で梳綿部責任者矢野留馬に対し、理由なく殴る蹴るの暴行を加え、且つ食堂の椅子、茶碗を投げつけ破損させた。

(5) 同年六月十五日炊事場で備付けの茶碗類多数を故意に破壊した。

(6) 同年十一月二十日女子工員が入浴中風呂の水栓を抜いて入浴不能とした。

(7) 昭和三十年五月二十二日精紡工岩崎ヒロ子に対し給食用のパンを与えなかつたり、食事中の女子工員に対しホースで水を掛けたりして、食事ができないようにした。

(8) 同年十月寄宿舎炊事場で従業員の食事材料を私用に供するため横領した。

申請人等には以上列挙のような就業規則違反行為があり、多数の従業員からその職場からの放逐解雇が要望されていたものである。

四、これを要するに、会社が申請人等に対しなした解雇は、前記のとおりいずれもそれぞれ理由がある有効なものであつて、その無効を前提とする本件仮処分の申請は却下さるべきである。

第三、疏明関係<省略>

理由

第一、会社は肩書地において綿紡績を業とする株式会社であり、申請人古垣は昭和二六年一月、同森は同年二月それぞれ会社に入社し、爾来申請人古垣は精紡機械の保全、同森は炊事の各業務を担当してきたもので、且つ申請人主張の組合の組合員であつたところ、申請人等は右組合から除名され、会社は昭和三一年一月四日附解雇通知書を以て同月五日限り申請人等を解雇する旨の意思表示をなしたことは、当事者間に争がない。

第二、被申請会社における組合結成、その後の組合運営の状況並に申請人等の組合活動とこれ等に対する会社側の態度。

成立に争のない甲第三号証、申請人森の供述により成立の認められる甲第五号証に証人白樫寅一、森てる子の各証言、証人安藤義雄、岩元鉄雄、梶本利夫、藤平正夫(第一回)の各証言の各一部、申請人等の各供述、被申請会社代表者本人の供述の一部を綜合すれば、次の事実が認められる。

(一)  会社には従来労働組合は存在しなかつたが、昭和三〇年七月中旬頃、従業員の間に全繊大阪支部の泉南地方における組織拡大運動の呼びかけに応じて組合を結成しようという気運が生じ、全繊大阪支部執行委員安藤義雄、日紡労働組合貝塚支部長岩元鉄雄等の指導の下に、有村サキを中心とする女子従業員中の有志並に藪下、鐘園哲夫、申請人古垣等が中心となつて、同年七月二十四日組合結成の準備大会を開催し従業員中約百名がこれに参加、仮役員として組合長に有村サキを書記長に鐘園哲夫を選出、さらに同月二九日には従業員中本社工場から約百二十名、信達工場から約十名が参加して正式の組合結成大会を開き、組合長に申請人古垣、副組合長に有村、書記長に鐘園を選出し、組合規約を承認、会社に対しユニオンショップ協約の締結を交渉することを決議した。右結成大会当日、組合は、会社に対し、事務職員と現場責任者矢野、伊藤、吉川等の組合加入斡旋方を依頼したところ、会社は事務職員の加入は認めず現場責任者のみについて考慮を約したが、梳綿部責任者矢野留馬、労務担当者梶本利夫は職責上加入できないと称して組合加入を拒否し、その他現場責任者吉川、伊藤等も組合へ加入しなかつた。その後組合は会社に対しユニオンショップ協定の締結方を交渉したが、会社は従業員中に組合未加入者が相当数あることを理由にユニオンショップ協定の締結を拒否し、一方前記安藤、岩元等の勧告もあつて、同年九月一九日組合は会社との間にオープンショップ協定を主たる内容とする暫定協定を締結した。

(二)  同年九月二十四、五日頃矢野は、組合に対し直接に何等の申出のないのに拘らず、組合員中三五、六名のものの脱退届を組合へ提出、矢野、梶本は藤平工場長代理、定盛技術責任者等と相談、山下繁子、下野スナ子、藤上房子等女子従業員の一部の協力を得て、組合未加入者と組合員の意思の疏通を計り組合を一体化し兼ねて従業員の慰安と相互扶助を目的として、社長、専務を除く全従業員の加入を目指して自治会の結成準備に着手した。内心右オープンショップ協定の締結と自治会結成の動きに不満を抱き、安藤等の指導方針に疑念を持つた申請人古垣は、同年一〇月一〇日頃申請人森とともに、全繊大阪支部羊毛部会の執行委員にして泉州地方労働協議会の議長を兼ねている白樫寅一を訪ねオープンショップ協定の締結に続いて組合脱退者が出てくる事態について相談したところ、白樫もまた安藤等の指導方針に疑念を持ち、同月一二日頃申請人古垣と同道、会社に赴き、上部団体役員として責任者へ面会を求めたが、藤平工場長代理は組合の件に関しては安藤、岩元、東洋帆布労働組合尾野組合長以外のものとは話合をしないとして面会を拒否され、已むなくその頃白樫は安藤、岩元、申請人古垣等組合役員、全繊大阪支部組織部長田端等と会合、組合の収拾策について協議の結果、田端、白樫の反対にも拘らず、安藤の主唱の下に結成準備中の自治会と組合を合体して統一するということに決定し、同年一〇月一六日頃組合大会を開催、それまで未加入の矢野、梶本等も前記脱退者三十数名とともに組合に加入し、役員を改選して組合長に矢野、副組合長に会社大阪営業所勤務の間沢、書記長に梶本がそれぞれ選任された。

(三)  その後の組合は、組合員の要求を積極的に取り上げることなく、組合ニュースの発行、組合情報の掲示もせず殆んど組合らしい活動をしないまま経過したところ、同年一二月上旬頃組合員に事前に何等諮るところなく執行委員会において穏密裡に年末手当の支給、ユニオンショップ協定締結を要求することを決定し、後者については格別の団体交渉少くとも社長が出席しての団体交渉は一回も開かれることなく、藤平、矢野、梶本等話合の上、同月五日さきのオープンショップ協定を廃棄しユニオンショップ、唯一交渉団体約款を主内容とする暫定協定追加協定を締結したが、組合員に対してはそのことにつき何等通知されるところがなかつた。

(四)  役員改選後の組合の動きに慊らなく思つていた申請人等は、同年一一月末頃偶々近傍の藤原紡績に赴いた際、同紡績の従業員から申請人等の知らない間に組合が会社に対し一、三ケ月分の年末手当の要求をしていることを聞知し、その真偽を訊すべく臨時組合大会の開催を求めることを決意し、同年一二月三日頃会社内において右についての賛成署名を求めに廻り、四十数名に及ぶ賛成の署名を得た。このことを察知した上林社長並に梶本書記長は申請人古垣を詰問、また署名運動の際女子工員山下繁子の負傷事件が起つたりして、臨時組合大会の開催要求は不成功に終つた。

(五)  組合の要求にかかる右年末手当は、組合員にその交渉の経過、支給配分の基準等につき何等知らされるところなく、同年一二月末頃支給されたが、一部女子工員間にその配分について不満が起こり、これを申請人等に訴えるものもあり、役員改選後の組合幹部の組合員に対する態度に不満を抱いていた申請人等は、ここに従来の組合とは別に自主性を持つた新組合を結成することを企図し、昭和三一年一月三日朝会社女子寄宿舎に赴き女子従業員に対し新組合結成賛成の署名を求めに廻つた。

(六)  申請人等の右行動を知つた矢野組合長、梶本書記長等は、翌一月四日午前九時頃事前に組合員に対し何等の通知をしないで、突然就業中の組合員を会社仕上場に集合させ、矢野において申請人等の出席を拒否した上、臨時組合大会を開き、梶本が議事を主宰し殆んど何等の質疑もなされることなく、組合の統制を乱したものとして申請人等を組合から除名することを決議し、その旨申請人等に通告するとともに、会社に対しユニオンショップ協定に基く解雇方を申入れ、会社は即日右協定により同月五日附を以て申請人等を解雇することを決定、その頃その旨申請人等に通告した。

証人梶本利夫、藤上房子、下野スナ子、藤平正夫(第一回)の各証言、被申請会社代表者本人の供述中右認定に反する部分はこれを信用しない。

第三、昭和三一年一月四日附解雇の性質。

申請人等は会社の申請人等に対する昭和三一年一月四日附前記解雇は、会社が組合との間のユニオンショップ協定に基き組合の除名を理由としてなした解雇と主張し、被申請人は右解雇を懲戒解雇の実質を有する会社の業務上の都合による解雇と主張するので、先ずその点について判断するのに、成立の争のない甲第一号証の一、二、証人藤平正夫の証言(第一回)により成立の認められる乙第五証に証人藤平正夫、梶本利夫の各証言、被申請会社代表者本人の供述の各一部、申請人等の各供述を綜合すれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和三一年一月四日附の解雇通知書(甲第一号証の一、二)の文面には「組合の申出により解雇する」と明記せられていて、被申請人主張の如き会社の業務上の都合による解雇の趣旨を窺わしめる片言もない。

(二)  被申請人の主張する申請人等に関する就業規則違反の事実については、その事実が発生した当時、或は発生したと主張する日時頃、会社側においてその事実を就業規則に違反するもの又はその疑あるものとして懲戒処分の対象として調査したことはなく、藤平工場長代理、梶本労務係において調査し始めたのは、組合役員改選後の昭和三〇年一〇月中旬以降であり、それも就業規則違反の疑があるという理由で調査したというよりは、却つて後記認定のとおり会社、組合相協力して組合除名事由を見出すために調査したという方が適切と思料される。右事実の裏づけとして被申請人が提出した関係人の口述書(乙第三号証の一乃至十三、第四号証の一乃至十二)も、本件仮処分申請後藤平の依頼により作成されたものである。

(三)  会社就業規則(乙第五号証)第六十九条には、「懲戒は懲戒委員会の議を経てこれを行う。懲戒及懲戒委員会に関する規定は別に定める」とあるが、右懲戒委員会に関する規定は、昭和三一年一月四日附の解雇の意思表示がなされて後の同年二月一日附を以て、始めて就業規則附属規定として制定されたものである。

以上認定の諸事実を綜合すれば、会社は少くとも昭和三一年一月四日当時においては、被申請人の主張する就業規則違反事実を理由として申請人等を懲戒解雇する意思はなかつたものと推認でき、同年一月四日附解雇の意思表示は、昭和三〇年一二月五日会社、組合間に締結せられたユニオンショップ協定に基き組合の申請人等に対する除名を理由としてなされたものと認めるのを相当とし、証人藤平正夫の証言中右認定に反する部分は信用できない。尤も被申請人提出の懲戒委員会議事録(乙第九号証の一、二)には、昭和三〇年一二月五日、同三一年一月五日申請人等に関する就業規則違反事実につき懲戒解雇をなすべきかどうかについて懲戒委員会が開かれ、論議された旨の記載があるが、前記認定のとおり就業規則附属規定としての懲戒委員会規定が正式に制定されたのは昭和三一年二月一日附であることに徴すれば、「懲戒委員会議事録」と明記してあることは、些か不自然の感を負わないし(当時会社において真実懲戒解雇の意思があり懲戒についての形式を整えようと思えば、その当時懲戒委員会規定を制定したであろうし、形式に拘泥せず実体的に確信があるならば申請人等において前記一月四日附解雇の効力を争うことが判明した頃に急いで懲戒委員会規定を制定する必要もなかつたと考えられる)、申請人等に対する右解雇の通知書(甲第一号証の一、二)の日附が同年一月四日附である点について、証人藤平正夫は一月五日を誤記したものであると証言するが、年頭正月早々の日附を誤記することは容易にあり得ることではなく、右証言もたやすく信用し難いとすれば、右二回にわたる懲戒委員会議事録が真実その当時作成されたかどうかについて疑念を払拭し得ず、右も前記認定を覆す資料とならない。

第四、昭和三一年一月四日附解雇の効力。

一、ユニオンショップ協定は不存在であるから右解雇は無効であるとの主張について。

その効力、締結の経過は別として、会社と役員改選後の組合との間に昭和三〇年一二月五日ユニオンショップ協定が締結されたことは、前記第二(三)認定のとおりであるから、申請人の右主張は採用できない。

二、ユニオンショップ協定は、会社と労働協約締結の能力を欠く御用組合との間に締結されたもので無効であるから、右協定に基く右解雇も無効であるとの主張について。

(一)  組合長矢野、書記長梶本の職制上の地位。

申請人古垣の供述により成立の認められる甲第八号証、証人藤平正夫の証言により成立の認められる乙第十四号証に証人梶本利夫、藤平正夫の各証言、被申請会社代表者本人の供述の各一部、申請人両名の各供述並に弁論の全趣旨を綜合すれば、次の事実が認められる。

(1) 会社は従業員約百数十名を擁する小企業であるところ、代表取締役上林社長の下に菊池専務取締役が大阪営業所を主宰し、工場においては藤平工場長代理が社長の指揮を受け総括的な事務を執る外、所謂部課長制を採らず、事務部門(工場においては一般に事務所と称せられていた)においては経理、庶務、労務、原棉、工場現場部門においては技術、混綿、梳綿、練篠、粗紡、精紡、仕上、保全、試験の各部門に分けられ、各部門にその責任者が置かれる職制を採つていて、矢野は右梳綿の梶本は右労務の各責任者として終始その職務を担任していた。

(2) 梶本は昭和二六年一月頃入社以来右労務の責任者として社長、工場長代理の指揮監督の下、労働基準監督者等労働関係監督諸官庁との折衝、同諸官庁へ提出すべき書類の作成、失業保険、社会保険に関する事務の外、従業員の雇入、配置にも関与していた。又自己が組合書記長に就任の前後を通じ、会社における労務管理、人事に関する従業員の不平不満は先ず梶本のところへ持込まれ、従業員の勤務状況、就業規則違反事実の調査も社長、工場長代理の指揮を受け直接には梶本により行われていた。昭和三〇年一二月末頃年末手当の算定基準として各部責任者から提出せられた従業員に対する成績査定表は先ず梶本により目を通されて社長、工場長代理へ提出せられた。

(3) 組合結成の前後を通じ、従業員の懲戒事犯について協議する際には、社長、工場長代理の外矢野、梶本はそれぞれ梳綿、労務の各責任者としてその他の前記各部責任者とともに出席していた。

(4) 組合結成後会社と組合との間の団体交渉に、梶本は社長、工場長代理と並んで常に会社側の一員として出席していた。

(5) 組合結成当日組合が会社に対し事務職員と現場責任者の組合加入斡旋方を依頼したのに対し、会社は梶本を含めて事務職員の加入を認めず、梶本自身も矢野とともに職責上加入できないとして組合加入を拒否した。

以上認定の諸事実を綜合すれば、矢野については速断し難いものがあるが、梶本については、主観的に自己を会社の利益を代表するものと意識していたことが窺われるのみならず、従業員の雇入、解雇、昇進、異動等いわゆる人事権、従業員の給与、労働時間、服務規律等いわゆる労務管理についての関与の程度に徴すれば、使用者を代表して従業員に対し人事権を行使する地位にあつたものとはいえないとしても、単に形式的、補助的にこれらの事務に関与するに止らず、労働組合法第二条第一号にいう会社の人事、労務管理の立案と実施についての機密に携わる監督的地位にあつたものと認めざるを得ない。証人梶本利夫、藤平正夫の各証言、被申請会社代表者本人の供述中右認定に反する部分はこれを信用しない。

もとより労働組合法第二条所定の使用者の利益代表者の範囲は、当該労働者の職制上の名称等により画一的、形式的に判断さるべきものでなく、企業の規模、職制のあり方等に即して具体的に判断さるべきものであるところ、被申請会社は従業員数約百数十名の小企業とはいえ、社長、工場長代理が人事、労務に関し全権を独占していたとも認められず、梶本の人事、労務についての関与の程度が前記認定のとおりであるとすれば、その職制上の名称が単なる労務係だとしても、その権能は大企業における人事課長、労務課長にも匹敵すべきものがあり利益代表者といわなければならない。

(二)  組合の運営に対する会社の支配介入。

前記第二冒頭に記載の各証拠及び被申請会社代表者本人の供述により成立の認められる乙第七号証の一、二並に証人藤上房子、下野スナ子の各証言の各一部を綜合すれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和三〇年七月中旬頃申請人古垣等が組合を結成すべく賛成の署名運動をしていることを察知した上林社長等は、関係者を呼びつけて「君達は組合を結成しようとしているのか。会社に不足があればいえ」等と詰問した。

(2) 組合結成後、会社側は組合員から組合に対し正式の脱退届が提出されていない前に、早くも組合脱退者があるということを知つていた。

(3) 役員改選後の組合の執行委員会は、女子執行委員の出席すること少く、専ら矢野、梶本の牛耳るところとなり、会社側との団体交渉も執行委員会の席上へ社長、工場長代理が姿を現わし談合するというような形式で行われ、対立当事者の激しいやりとりというような事態はなかつた。

(4) 昭和三〇年一二月三日頃臨時組合大会開催要求のための署名運動をしていた西本文子が、誤つて山下繁子を負傷させた事件が発生した際、申請人古垣は梶本から「第二組合を結成しようとしているのか」と詰問されるとともに、上林社長からも「梶本に文句をいうな。署名運動中に負傷させたではないか」と暗に署名運動を難詰するか如き言辞を弄された。

(5) 昭和三〇年一二月五日藤平、矢野がユニオンショップ協定を主内容とする暫定追加協定書を社長宅に持参し調印したが、当夜団体交渉の際未だ除名手続が終つていないのに拘らず、組合側から、社長に対し組合の統制と通常直接の関係を持たずむしろ会社が懲戒処分の事由となすべき申請人等がガラスやパンを盗んだという理由で申請人等を除名するから解雇して欲しいという申出がなされた。

(6) 上林社長は組合結成の当初から対組合関係のことに暗いという理由で、対組合の問題について全繊大阪支部執行委員安藤並に日紡労働組合貝塚支部長岩元の助言を受け、又昭和三一年一月四日附で申請人等を解雇して後、申請人等から社長に対し解雇理由の解明方について申入のあつた際にも、回答を出すべきかどうかについて右安藤に相談した。

以上認定の諸事実に、前記第二認定の(1)組合結成当時における矢野、梶本等の組合加入問題に関する会社側並に矢野、梶本等の態度、(2)組合員脱退の状況と自治会結成の準備、自治会と組合の統一合体、組合役員改選に至る経過、(3)役員改選後の組合の組合活動の低調並に組合幹部と組合員の関係、(4)ユニオンショップ締結と申請人等解雇に至る経過、(5)全繊と会社、申請人等の関係等とを併せて考察すれば、会社は当初組合への加入斡旋を拒否しその組合員資格を拒否していた矢野、梶本等と気脈を通じ、組合を会社の労務管理機関ないしは単なる親睦団体たらしむべく、先ず自治会の結成準備に着手し、安藤等の助言を得て自治会と組合の合体統一の名目の下に組合役員の改選に介入し、ひいてはその後の組合の運営に介入、これを支配したことが推認できる。

もとより中小企業特に地方出身の年若い女子工員多数を擁する繊維産業の労働組合においては、組合組織が確立し且つまた資本力が充実した大企業におけると異り、対使用者との関係において徒らに戦闘的であることが、組合を価値あらしめるものでなく当該企業の資本力、組合員全体の組合活動に対する意識の高低ともにらみ合わせて実情に即した活動方針があつて然るべく、時にいわゆる低き姿勢を執り外観的には使用者の経営方針、労務管理方針に盲従するかの観を呈する場合のあることは肯定し得るがそれはあくまで組合員全体の自主的意識を背景とする組合幹部の自主的な組合活動方針に基く場合にのみ、組合活動として認容されるのであつて、そこに使用者の意思が介入支配し組合の自主性を喪失せしめるに至つた場合には、その組合の活動を正当な組合活動として認める訳にいかず、却つてかかる御用組合化した組合を自主的なものに変質せしめるための活動こそ、労働法によつて保護さるべき正当な組合活動というべきであろう。

被申請人は強力な一大組織である全繊の指導下にあるから、役員改選後の組合も自主性を喪失したとなすのは当らないと主張するが、組合は結成当初から前記安藤、岩元等の指導を受けていたものであるが、結成準備中の自治会と組合が合体統一し、申請人古垣が組合長を辞任し組合役員が改選される経過においては、全繊大阪支部の組織についての責任者組織部長田端及び同支部羊毛部会執行委員白樫も関係、同人等は安藤の指導方針に多分の疑念と不信の気持を有し、同支部執行部の統一した方針に基いて指導がなされたものとは認められず、しかも右安藤は、会社の実態把握の手段としての一面もあつたではあろうが、当初より社長、工場長代理と連繋を保つことに意を注ぎ過ぎ、組合員全体の意向の把握に欠くるところがあつたこと、申請人等は全面的に組合員の信望を得るには至らなかつたとしても、組合員中には改選後の組合幹部の組合運営方針に不満を抱き、申請人等の新組合結成への動きに賛意を表するものが相当数存在していたことが、前記認定の諸事実より窺われ、本件の具体的事情に即して考えるとき、前記安藤等の指導下にあつたということも組合の自主性を否定する妨げとならない。

(三)  以上(一)(二)認定の事実に徴すれば、役員改選後の組合は、実質的に会社の利益を代表する梶本労務係を幹部としての書記長に擁し、その後の組合運営に会社の支配介入をみて、組合としての自主性を喪失したいわゆる御用組合と断ぜざるを得ない。

御用組合は使用者の意思の支配下にある団体であつて、協約の締結により労働者の権利を擁護する機能を果し得ないものであるから、御用組合たる役員改選後の組合が昭和三〇年一二月五日会社との間に締結したユニオンショップ協定は、労働協約締結の能力を欠く組合が締結したものとして、組合並に組合員を拘束する効力を有しない無効のものといわざるを得ず、右ユニオンショップ協定に基きなされた昭和三一年一月四日附の申請人等に対する解雇もまた無効である。

三、右ユニオンショップ協定が無効である以上、申請人等を除名した組合の決議の無効を理由として右解雇の無効を主張する申請人等の主張については、その判断を省略する。

第五、昭和三十一年二月十五日附解雇の効力。

一、それに至る経緯は別にして、前記昭和三一年一月四日附解雇の意思表示に続き、右解雇が無効な場合に備え予備的に、同年二月十五日附を以て会社から申請人等に対し、被申請人主張の如き就業規則違反の事実があつたものとして、それを理由に懲戒解雇の意思表示がなされたことは当事者間に争がない。

二、被申請人主張の申請人等に関する就業規則違反の事実は、多くは虚構の事実であるか又はそのような事実があつたとしても針小棒大に誇張せられているものであつて懲戒解雇に値する就業規則違反行為というを得ないのみならず、右懲戒解雇は真実は申請人等の平素の組合活動及び昭和三〇年十月初旬の臨時組合大会開催要求のための署名運動並に翌年一月三日の新組合結成のための署名運動を理由としてなされたものであるから無効であるとの主張について。

(一)  申請人古垣に関する事実について。

(1) 被申請人主張の三(一)の(1)(4)(7)(8)の事実は、申請人古垣の供述によれば、いずれも同申請人が職制上の上司として部下に対し作業上の指示をなした際に起つた事柄で、(1)の場合口争いが嵩じて暴行に及んだが、その他の場合には暴行脅迫という程のことはなく、特に懲戒事由としてとり上げる程のことではなかつたことが認められ、証人下野スナ子の証言中右認定に反する部分は信用できない。

(2) 被申請人主張の三(一)の(2)の事実は、申請人古垣の供述によれば、仕事の上での口論に過ぎず前記事実と同様懲戒事由となるべき事柄とは認められず、(3)についてはこれを認めるに足る証拠がない。

(3) 被申請人主張の三(一)の(5)の事実は、申請人古垣、被申請会社代表者本人の各供述によれば、昭和三〇年一二月三日頃申請人等が臨時組合大会開催要求の署名を求めに廻つた際、同じく社内で署名を求めに廻つていた西本文子が所持していたノッタ鎌で誤つて作業中の同僚工員山下繁子を傷けたが、社長は右について申請人古垣を詰問、同申請人は右は自己署名運動中に起つたことであるので責任上陳謝したところ、社長もこれを諒承したことが認められ、申請人古垣が西本を教唆して山下に傷害を与えたことはこれを認めるに足る証拠がない。

(4) 被申請人主張の三(一)の(6)の事実は、証人藤上房子の証言、申請人古垣の供述を綜合すれば、昭和三〇年七月二〇日頃の早朝申請人古垣があさり取りの網を作る目的で会社所有のラス(建築用金網)約一尺平方位のものを持ち帰つたことは認められるが、右ラスが会社にとつて有用なものであつたことについてはこれを認めるに足る適確な証拠がないのみならず、証人藤平正夫の証言(第一回)によれば、会社としては当時これを理由に懲戒解雇する意思は全くなかつたことも認められ、僅か一片のラスの持帰りを以て懲戒解雇の事由となすのは相当でない。

(5) 被申請人主張の三(一)の(9)の事実は、被申請人において申請人森についての懲戒解雇事由としては主張しないのであるが、その作成日時に懲戒委員会議事録として作成されたことについては前記認定のとおり疑があるとしても、会社の申請人等に対する懲戒解雇の決定的理由を推認せしめる最も有力な資料としての乙第九号証の二並に被申請会社代表者本人の供述によれば、会社が昭和三十一年二月十五日附を以てなした懲戒解雇の主たる理由は、申請人等が同年一月三日飲酒の上男子禁制の女子寄宿舎に無断で侵入し女子従業員に不安の念を与えその作業能率を低下せしめたという点にあることが認められるので、この点については申請人両名に関連のある事項として後に詳細にこれを検討する。

(二)  申請人森に関する事実について。

(1) 被申請人主張の三(二)の(1)の事実は、申請人森の供述(第一回)によれば、当日副食物材料の支給が遅れたため食事の用意が遅れ、さらに風呂用の薪が生木で風呂を沸すのに手間どつていた際、梶本が来て風呂の沸くのが遅いことを強く叱責したので、事情も分らないで怒る梶本の態度に立腹した申請人森は、傍にあつた庖丁を所持して立上つたことを認めることができる。いかに相手方の態度に非があるにしても、庖丁を手にして威嚇的態度に出たことは不穏当のそしりを免れないが、事は旧聞に属し前後の事情から考えてもこれを以て懲戒解雇の事由となすのは相当でない。

(2) 被申請人主張の三(二)の(2)の事実についてはこれを認めるに足る証拠がない。

(3) 被申請人主張の三(二)の(3)の事実は、申請人森の供述(第一回)によれば、当日は会社のレクリエーションの日で従業員が宝塚へ行つて留守中、申請人森が炊事係の仕事に従事していたところ、社長から休養日だから休めといわれ釜の修理をしていた。そこへ当日の当直上林政三が来て「仕事を怠るな。風呂を沸せ」と指示したので、同申請人は社長から休めといわれて休んでいるのだと口論となつたことが認められるが、これまた前記(1)の事実と同様前後の経緯から考えて懲戒解雇事由には当らない。

(4) 被申請人主張の三(二)の(4)の事実は、申請人森の供述(第一回)によれば、私事に関し矢野と喧嘩口論したことは認められるが、職場秩序と一応無関係の事柄と認められ、懲戒事由には当らない。

(5) 被申請人主張の三(二)の(5)の事実は、昭和二十九年七月頃信達工場の保全作業に十余人の女子工員が赴き、夜半に帰寮して残してあつた食事を食べていいかと訊した際、申請人森は夏のことでもあり腐敗していることを虞れて急いで残飯を捨てた際、誤つて数ケの茶碗を壊したことが認められるが、故意にこれを壊したことはこれを認めるに足る証拠なく、懲戒事由には当らない。

(6) 被申請人主張の三(二)の(6)(7)の事実は、申請人森の供述(第一回)によれば、申請人森は炊事係として社長から食事時間、入浴時間の厳守を命ぜられている関係から、時間を過ぎて食事に来るものに対し食事を与えなかつたり、時間を過ぎて浴場で洗濯するものに対し風呂の栓を抜いたりしたことがあることが認められ、証人藤上房子、下野スナ子の各証言中右認定に反する部分はこれを信用しない。申請人森としては、いかに会社からの厳命があつたにせよ、活動力の源泉である食事、入浴に関することであるから、前記のような場合には遅れた理由を尋ね、場合によつては臨機の処置を採る等当事者に納得のいくような態度に出るべきであるに拘らず、形式的に取扱い、またその態度においても稍粗暴のそしりを免れないことが窺われるが、未だこれらのことを以て懲戒解雇の事由となすのは相当でない。

(7) 被申請人主張の三(二)の(8)の事実についてはこれを認めるに足る証拠がない。

(三)  以上被申請人主張の申請人等に関する就業規則違反事実は、前記認定のとおりいずれも懲戒事由に当らないか、若しくは当るとしてもその過半はいずれも相当以前の事柄であり、それを個別的に取り上げても或はそれを累積綜合してもその情状懲戒解雇に値するものとは到底認められないのみならず、証人梶本利夫、藤平正夫(第一回)の各証言、被申請会社代表者本人の供述を綜合すれば、少くとも昭和三〇年一〇月中旬頃即ち結成準備中の自治会と組合が合体統一し組合役員の改選があるまでは、会社は右のような事実を理由として申請人等を懲戒処分する意思なく、またその意思の下にこれらの事実について申請人等を訊し、または関係人について調査したことがなかつたことが認められる。却つて前記第二、第四認定の諸事実並に弁論の全趣旨によれば、組合役員改選後、藤平並に同人の意を承けた矢野、梶本は、申請人等の行動について格別の注意を払い、特に申請人等が改選後の組合幹部の動きに不満を抱き、前記白樫の助言を求めるに至つてからは、同人等が組合員の不満を糾合して会社に当ることを恐れてか、昭和三〇年一二月三日頃申請人等が臨時組合大会の開催を求めるべく署名運動をしていることを察知するや、会社と御用組合化した組合の幹部矢野、梶本等も相協力して、同月五日急遽ユニオンショップ協定を締結し、矢野、梶本等は何等かの名目を以て申請人等を組合から除名し、会社は右除名を理由にユニオンショップ協定に基き申請人等を解雇しようと企図し、会社は懲戒解雇事由としてではなく、むしろ組合の除名事由発見の意図を以て申請人等の行動に対し従来にまさる監視を始めたことが推認できる。このようにみてくると、上林社長、藤平工場長代理は、当初から組合に対し好ましからざる感情を抱いていたが、申請人古垣が組合長の時代には事を荒だてると、対組合との関係において紛争が起ることを恐れて、会社が主動的立場に立つて申請人等を企業外に放逐する意思はなかつたが、前記のとおり組合役員の改選に介入して矢野、梶本を組合役員に選任せしめ組合を御用化して後は、会社にとつて好ましからざる人物としてユニオンショップ協定を利用して申請人等を解雇する意図を持つようになつたことが窺われる。そこへ発生したのが被申請人主張の申請人等の女子寄宿舎無断侵入事件である。

(四)  申請人等の各供述によれば、昭和三十一年一月三日会社休業日に当り、改選後の組合幹部の動きに慊らなく思つていた申請人等は、御用化した組合によつては従業員の地位向上は到底得られるべくもないと考え、自主的な新組合の結成を企図し、それについて従業員の賛成を求めるべく、格別の許可を得ることなく女子寄宿舎へ入り二十数名の賛成署名を得たことを認めることができる。被申請人は男子は許可なくして女子寄宿舎に入つてはならないことになつていると主張し、証人梶本利夫、藤平正夫(第一回)、藤上房子、下野スナ子の各証言、被申請会社代表者本人の供述中右主張に副う部分は申請人等の供述に照したやすく信用できないし、仮にそうであるとしても、女子寄宿舎に対する男子禁制の趣旨は、専ら風紀の維持を目的とするものと解すべきで、申請人等が女子寄宿舎に入つた目的が、右認定のとおり署名運動のためである以上、これを以て直ちに懲戒事由となすのは当らないばかりでなく、前記各証拠によれば、機会あらば申請人等を解雇しようとしていた会社は、申請人等の右行動を捉えて組合幹部と気脈を通じ、矢野、梶本等組合幹部は右行為を以て組合の統制を乱すものとし申請人等を除名することにし、昭和三十一年一月四日臨時組合大会を開いて申請人等の除名を決議し、即日会社は右除名を理由に前記ユニオンショップ協定に基き申請人等を解雇したことが認められる。右経緯に徴すれば、会社の右解雇は、表面的には申請人等の組合からの除名を理由としてユニオンショップ協定に基きなした解雇の形式をとつてはいるが、真実は申請人等を企業外に放逐して組合の団結力を弱めることを目的とし、改選後の組合幹部の動きに不満を有し御用化した組合を自主的なものにしようとし或は自主的な新組合を結成しようとしてなした申請人等の前記組合活動、特に昭和三〇年一二月三日翌三一年一月三日の二回にわたる署名運動を理由としてなされたものであることが認められる。従つて、右解雇は申請人等の正当な組合活動を理由としてなされたものであるから不当労働行為として無効であるところ、その後本件仮処分申請後右解雇の無効を前提として予備的になされた昭和三一年二月一五日附解雇も、会社の前記意図の継続的発現に過ぎないこと(このことは証人藤平正夫の証言により成立の認められる乙第九号証の三の記載に徴しても明らかである)が認められるので、これもまた不当労働行為として無効であるといわなければならない。

第六、

以上のとおり本件解雇はいずれも無効であるから、申請人等はなお会社従業員たる地位を保有し、依然会社に対し賃金請求権を有するものである。その賃金の月額は労働基準法所定の平均賃金により算定するのを相当とするところ、その月額が申請人古垣において金一万四千五百円、申請人森において金八千三百五十円であることは申請人等の各供述により認められ、また賃金の支払期が毎月末であることは被申請人において明らかに争わないところであるから、申請人等は被申請人に対し第一次の解雇の日の翌日以降毎月末限り前記割合による賃金月額を請求し得るものである。そして申請人等が事実上の離職のため生活の不安を招来していることが推察されるので、仮処分によりこれに対する緊急の救済を求める必要性があるものと認められる。しかしながら、弁論の全趣旨に徴して窺われる被申請人の経済的能力、その他本件における諸般の事情を斟酌して、当裁判所は、その必要性の限度を前記平均賃金月額の三〇パーセントをもつて相当と認める。よつて申請人等の本件仮処分申請を右限度において、保証を立てしめないで許容することとし、これを超える部分を却下し、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 木下忠良 戸田勝 倉橋良寿)

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